鳥取県の漬物を食べよう
らっきょうとご飯で始まる一日
砂丘らっきょう

産地の説明及びらっきょうの歴史

らっきょうは、砂丘地や荒廃地などのやせた土地でも育つという特性を持ちます。日本屈指の大産地である鳥取県福部町は、鳥取県東部に位置し、鳥取砂丘に隣接しています。その鳥取砂丘の一部で栽培されたらっきょうが「砂丘らっきょう」です。現在は、120haのらっきょう畑を93戸(平成21年度)の生産農家が栽培し、一戸当たりの栽培面積は、1.2ha以上と日本一の経営規模を誇る産地へと成長しました。
福部のらっきょうの歴史は、古く江戸時代に参勤交代の付け人が持ち帰ったことが始まりと伝えられています。当時は少数の農家で自家用として栽培されていましたが、大正初期に産業組合を設立し本格的に生産及び販売に取り組むようになりました。その後らっきょうは、干ばつに強いことが認められ作付けが増加していきました。
昭和40年頃、増加により大幅な増収になったが市場価格が暴落、これを機に加工事業を設立し、加工原料として取り入れることで出荷調整となり価格の安定化を図ることができるようになりました。その加工原料を塩漬け及び味付けに加工し、当初は地元「鳥取砂丘」の土産品として販売していました。現在は、「洗いらっきょう」「根付らっきょう」同様に「加工らっきょう」も日本全国に販路を拡大しています。
その後、地元の漬物製造業者も、その砂丘らっきょうを使ったらっきょう製造を始め、鳥取県の代表的な漬物として広がっていきました。

平成17年にJA鳥取いなばは「砂丘らっきょう」の商標登録を取得し、より一層のブランド化を促進しています。
また鳥取県中部の砂地地域でもらっきょう栽培が盛んになり、「砂丘らっきょう」のブランドではありませんが、鳥取県の国産らっきょうとして広がりを見せています。また近年鳥取県西部の弓ヶ浜半島の砂地地域でもらっきょうの生産が始まりました。

砂丘らっきょう
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