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全日本漬物協同組合連合会
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特集 全国お国自慢

おいでんかな 愛媛[全国お国自慢あれこれ]

愛媛県は、大小の島が散在する景色のよい波穏やかな瀬戸内海、そしてリアス式海岸の美しい宇和海に面し、西日本最高峰の石鎚山を擁する四国山脈を背にした、気候温暖で人情味あふれる住みよい県です。

その昔、伊予の国と呼ばれ、関ヶ原の合戦後全国的に、徳川氏・江戸幕府の支配が行き届くようになり、伊予の国でも親藩・譜代・外様の大名をうまく配置して八つもの藩がありました、親藩の松山・今治・西条藩と天領は瀬戸内海沿岸の交通の便の良い、よく肥えた耕地の平地部に配置され、外様大名の吉田・大洲・新谷・宇和島・小松藩はすべて四国山中、盆地、耕地の少ない(南予)地域にあり外様大名を監視する格好になっていました。 そんな歴史的背景と地理的条件から愛媛県は東予・中予・南予と三つに区分された呼び方をしています、そのお陰で、様々な文化、芸能、産業、産物が多々あります。

『四国88ヶ所、菩提の道場、伊予の国愛媛』

四国と言えば八十八カ所、八十八カ所と言えば弘法大師、四国はまぎれもなく大師信仰の聖地です。広くは四国全体が、弘法大師の足跡であり、大師信仰を中心とした四国の寺々は人々の心の安らぎの場でもあり、大師の心にひたる修行の場でもあります。阿波の徳島を発心の道場と言い23ヶ寺、土佐の高知は修行の道場で16ヶ寺、伊予の愛媛は菩提の道場で26ヶ寺、讃岐の香川は涅槃の道場で23ヶ寺、あわせて88ヶ所、へんろ道の旅となっています。愛媛県は菩提の修行道場ですが私には理解出来ませんので四国八十八カ所霊場会の会長さんに尋ねましたら次のように言っておられました「心が悟りの究成に至るには、発心(決意)、修行(条件)、菩提(手段・方法)、涅槃(完成)の段階を経なければならない。菩提とは手段・方法の過程に相当するので心の真実を認識し、自らが目覚めるべく悟りに向かう精神を積み、一方他に対しても働きかけてゆく努力を指して言うのである」と・・・。是非皆さんも発心されて四国へんろの旅をしてみてはいかがでしょうか。愛媛県民お接待の心でおもてなしをさせて戴きますので。

へんろ二人

『柑橘王国愛媛』

えひめと言えば「みかん」、みかんは愛媛県全域にわたる特産物であり、純白で清楚な花は県民性を象徴するにふさわしい花で県花にも制定されている。温州みかんの生産量は国内シュアのおよそ16%を占め日本一のみかんの生産地です。その他「伊予柑」をはじめとし「ポンカン・デコポン・八朔・文旦・清見タンゴ−ル・甘夏等」数え上げるときりがないほど多種多彩な柑橘類が栽培され、改良が続けられています、又これらの加工も盛んで最新の設備で作られるジュ−スやゼリ−、缶詰なども、全国的な生産品となっています。

『東予の物産と産業』

(今治市・西条市・新居浜市・四国中央市・上島町)
タオル製品・いぶし瓦・手漉き和紙・漆器・水引細工・お茶・造船・紙製品・アルミ精錬、あたご柿・椎茸・五葉松・山の芋・海苔・車海老・製塩・等々

『南予の物産と産業』

(宇和島市・西予市・八幡浜市・伊方町・大洲市・鬼北町・愛南町・内子町)
水産練り製品・金太郎芋・伊勢海老・ちりめん・ハマチ、鯛の養殖・真珠養殖・牧牛 桐下駄・鯉のぼり・花火・和ろうそく・和傘など

『中予のあれこれ』

中予は県都松山市を中心とした地域をさします、松山市は人口51万5000人の四国最大の地方都市です。気候は、温暖な瀬戸内海気候で、年平均気温15.8度、年間降水量1300mm、6月に多く12月に少ない夏雨型、全体に降水量は少なめ、冬場の降雪もほとんど無い、台風の通過も太平洋側の高知と比べて少なく穏やかな気候条件に恵まれています。こうした穏やかな気候風土に根ざした松山人の気質を、作家の司馬遼太郎は松山を舞台にした小説「坂の上の雲」の中で気候温暖で郊外に温泉があり、すべてが駘蕩しているため、人は闘争心が薄いと評している。(私も松山人、闘争心がないのが良いのか悪いのか?教えて・・)

日本最古の道後温泉

大和時代、都と大陸や九州を結ぶ中継地点だった道後には、聖徳太子をはじめ舒明天皇、斉明天皇、額田王など大和朝廷の重要人物が訪れた。奈良時代には山部赤人が来浴し「万葉集」に歌を残した。平安中期に書かれた源氏物語にも「伊予の湯桁」という記述がみられる。全国で唯一の皇族専用の御召湯「又新殿」をそなえた道後温泉本館には年間約120万人が入浴し、国の重要文化財に指定されながらも、今なお現役の公衆場として利用されている希有な温泉です。(ちなみに今年6月に関西漬物協会の定時総会がこの本館近くで開催の予定です是非総会に御出席頂き道後の温泉で古き良き時代の思いを馳せてみてはいかがでしょう・・・)

道後温泉本館

道後温泉坊ちゃんマドンナ

松山城と「緋のかぶら漬」

徳川方の勝利に貢献した加藤嘉明(加藤清正らとともに七本槍の一人)は二十万国に加増され、それまでの松前城では手狭になり道後平野の中心にある勝山に松山城築城に着手するが完成を待たずして会津藩に転封となる、その後、二代目藩主・蒲生忠知が出羽の国上ノ山から転封この際、領していた近江日野郷から松山に来た人が持ち込んだ日野菜が松山名産「緋のかぶら漬」と言われています。又もう一説では三代藩主・松平定行が伊勢から転封のとき仕えていた日野村の鉄砲鍛冶・岡治兵衛吉定が種を取り寄せ栽培したのが始まりとも伝えられています。いずれにしましても松山地方では380年の昔より正月の祝い膳には欠かせないものとして継承されている漬物です。 松山の近代俳句の俳人・正岡子規も「緋のかぶや 膳のまわりも 春景色」と詠んでいて、伊予節にも歌われている松山名産の一品となっています。

松山城

[画像上]緋の蕪抜きたて、[画像中]ザル盛の原料、[画像下]緋の蕪漬

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